目次
第2章「八百万の神々 ― 日本の神々の世界」
「八百万(やおよろず)」という言葉の意味
「八百万(やおよろず)」という言葉には、単に数の多さを示すだけでなく、「あらゆるものに神が宿る」という深い思想が込められています。
山や海、風、火、岩、木など、自然そのものが神の顕れとされ、人々はその力を敬い、調和のうちに暮らしてきました。
この「八百万の神々」の世界観こそ、日本神話の根幹であり、日本人の精神文化を支えてきた源流といえます。
三貴神 ― 天照大神・月読命・須佐之男命
天地が整い、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻って身を清めたとき、その禊(みそぎ)によって生まれた三柱の神々がいました。
それが、太陽の神「天照大神(あまてらすおおみかみ)」、月の神「月読命(つくよみのみこと)」、そして海と嵐を司る「須佐之男命(すさのおのみこと)」です。
これらの神々は「三貴神(さんきしん)」と呼ばれ、天・夜・海という世界の秩序を象徴しています。
天照大神は高天原(たかまがはら)を治め、光と秩序の象徴とされました。
一方、須佐之男命は激しい感情を持つ神であり、しばしばその荒ぶる性質が災いを招きます。
彼の乱行によって天照大神が洞窟「天岩戸(あまのいわと)」に隠れたとき、世界は闇に包まれました。
神々が協力して彼女を外へ誘い出したことで再び光が戻り、秩序が回復したと伝えられています。
この物語は、「混沌と調和」「破壊と再生」という相反する力のバランスを示しています。闇の中にも希望があり、混乱の中からこそ新しい秩序が生まれるという、普遍的な真理を伝えているのです。
大国主命と国譲り ― 調和を重んじる心
地上の世界「葦原中国(あしはらのなかつくに)」には、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」という神がいました。
彼は出雲の地を中心に国づくりを進め、多くの神々をまとめ上げたとされています。優しく慈悲深い神であり、「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」を救った逸話でも知られています。
やがて高天原の神々は、「この国を天の御子に治めさせよ」と命じ、「国譲り(くにゆずり)」を求めました。
大国主命は悩みながらも、最終的には争うことなく国を譲ることを選びます。
その代わりに、自らの御魂を鎮めるための神殿として「出雲大社(いずもたいしゃ)」が建てられたと伝えられています。
この神話は、力による支配ではなく、話し合いと和を重んじる精神を象徴しています。大国主命の決断は、「譲る勇気」こそが真の強さであることを今に教えてくれます。
天孫降臨 ― 神の意志が地上に宿るとき
「国譲り」の後、天照大神の孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」が、天上界から地上へと降り立ちました。
これが「天孫降臨(てんそんこうりん)」の神話です。
ニニギノミコトは「三種の神器(鏡・剣・勾玉)」を授けられ、「この国を豊かに治めよ」と命じられました。
その降臨の地は、現在の宮崎県・高千穂の峰と伝えられています。
この物語は、天と地が結ばれる瞬間を描いており、日本神話における「神の系譜」が人の世へと繋がる重要な場面です。
ニニギノミコトの子孫はやがて「神武天皇」となり、日本という国の礎を築いたとされています。
神々の象徴と現代への教え
日本の神々は決して完全無欠な存在ではありません。
怒りや悲しみを抱きながらも、最終的には「調和」へと帰していく姿が描かれています。
天照大神は光でありながら隠れ、須佐之男命は荒ぶる中に優しさを持ち、大国主命は力を手放して平和を選びました。
これらの神々の姿は、人間の心に宿る神性を映し出しているように思えます。
現代社会では、効率や成果が優先され、人と自然のつながりが薄れがちです。
しかし、「八百万の神々」という考え方を思い起こすとき、私たちはあらゆるものと共に生かされていることに気づかされます。
この感覚こそが、古代の神々が私たちに残した、豊かに生きるための知恵なのではないでしょうか。
神々は今も、私たちの中に生きている
八百万の神々は、遠い昔の存在ではありません。
自然の恵みを感じるとき、人の心に優しさが宿るとき、そこには確かに神々の気配があります。
日本神話は、私たちの生き方を静かに映す鏡であり、「調和」や「感謝」といった普遍の価値を今も語りかけているのです。
🔗日本神話シリーズ
- 第1章:天地のはじまり ― 日本の成り立ち
- 第2章:八百万の神々 ― 日本の神々の世界
- 第3章:日本の神話と人の営み
- 第4章:神話に息づく日本の心
- 第5章:現代日本と神々 ― 神話の再来
- 第6章:神話と未来 ― 心の再生へ



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