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八百万の物語 ― 日本神話シリーズ:第1章

目次


第1章:天地のはじまり ― 混沌から生まれた日本の神々

日本神話は、ただの昔話ではありません。
それは、私たち日本人が「自然と共に生きる心」をどう育んできたかを示す鏡のような物語です。

古事記や日本書紀に描かれる天地開闢(てんちかいびゃく)は、まさに“世界の誕生”を語る章。

混沌の闇から光が生まれ、そこに神々が現れ、人と自然が調和してゆく――。
この第一章では、その壮大な始まりを紐解いていきます。

天と地が分かれる ― 混沌からの創生

古事記の冒頭には、「天地初めて発(ひら)けし時」と記されています。

まだ空も地も形を持たず、上下の区別もない“混沌”の中に、やがて一筋の動きが生まれました。

その中心に現れたのが、宇宙の根源を司る三柱の神――
「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」「神産巣日神(かみむすひのかみ)」です。

彼らは姿形を持たず、静かにこの世界を整える「調和の力」そのもの。
後に生まれる神々が働くための舞台を整える存在であり、
まるで宇宙のエネルギーが「秩序」をもたらした瞬間の象徴のように描かれています。

イザナギとイザナミ ― 国産みの物語

世界の土台が整うと、神々は「地上を創れ」と命じます。
この使命を与えられたのが、男女の神「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」です。

この二柱は「まだ形をなさぬ国を固めよ」と命じられ、天の浮橋に立ち、
天沼矛(あめのぬぼこ)を使って海をかき混ぜます。
矛の先から落ちたしずくが固まり、最初の島「オノゴロ島」が誕生しました。

二人はその島に降り立ち、互いを巡って結ばれ、次々と島々を生み出していきます。

淡路島、四国、九州、本州――これが「国産み(くにうみ)」の物語です。
この神話は、単に日本列島の成り立ちを説明するものではなく、
「男女の調和から生命が生まれる」という、創造の神聖さを象徴しています。

神々の誕生と“死”の意味

やがてイザナミは、多くの神々を生みます。

海の神、風の神、山の神、火の神――自然のすべてに神が宿るという「八百万の神」の源流が、ここにあります。
しかし、火の神を生んだとき、イザナミはその火に焼かれ命を落とします。

悲しみに沈んだイザナギは、愛する妻を追って「黄泉の国(よみのくに)」へ向かいました。
しかし、そこで見たのはもはやこの世の姿ではないイザナミの変わり果てた姿。
イザナギは逃げ帰り、悲しみと穢れ(けがれ)を清めるために「禊(みそぎ)」を行います。

この禊の際に生まれたのが、
太陽の神「天照大神(あまてらすおおみかみ)」、
月の神「月読命(つくよみのみこと)」、
そして海と嵐の神「須佐之男命(すさのおのみこと)」の三柱です。

ここに、「死と再生」、「浄化と創造」という日本的思想の原型が見えます。
古事記が伝える「祓い(はらい)」の精神は、今も神社でのお祓いや禊に形を変えて受け継がれています。

自然と共に生きるということ

古代の人々は、山・川・海・風・火――
自然のすべてに神が宿ると信じていました。
だからこそ、自然を壊すことは「神を穢すこと」に等しく、
自然を敬うことは「神と共に生きること」でもあったのです。

現代社会では、利便性の裏でその感覚が薄れがちですが、
この神話の中には「生きるための調和の知恵」が息づいています。
私たちが日々を整え、他者を思い、自然に感謝する――
その一つひとつの行為の中に、古代の神々の精神が今も流れています。

終わりに ― 混沌の先にある「調和」

天地開闢の神話は、単なる創世物語ではありません。
それは、混沌から秩序が生まれ、死から再生が生まれるという「循環の物語」です。
この循環こそが、日本人が大切にしてきた“調和”の心。

今を生きる私たちが心を見つめ直すとき、
古の神々が歩んだ軌跡は、静かにその答えを示してくれます。
天地のはじまり――それは、私たち自身の「魂のはじまり」でもあるのです。


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